がん治療体験談  【前兆~手術~抗がん剤】


私は26歳で大腸がんのステージ3bになりました。

 手術をし、抗がん剤を使い、副作用に悩みました。

お金のこと、仕事のこと、家族のこと、友人のこと。

自分の体験が、他の誰かの悩みの解決に、

前向きに生きるための小さな”きっかけ”に、

そうなれることを願いながら書きました。

目次


1、病気前の生活・性格

2、大腸がん  前兆〜発見
3、家族・会社・友人への報告
4、入院〜手術〜退院
5、抗がん剤治療スタート

1、病気前の生活・性格


小中高、平均的な学力でした。

5段階評価でオール3~4です。普通です。

大学も行ける学力はあったのですが、(たぶん)当時の私には大学に行く魅力を感じていませんでした。

約300人近くいた同級生の約290人は進学。約10人は就職か、フリーランス。

私は少数派の就職でした。

高卒でIT関係の会社へ、WEBの営業マンになりました。

企業や店舗のホームページを作成する会社です。

ブラック企業でした。(笑)

24時間365日仕事のことを考えるように叩き込まれました。

おかげさまで、ブラック生まれブラック育ちです。

 

19歳~21歳。友人は大学のサークル飲み会、飲み会、飲み会。

私も会社、友人、会社、友人、友人、酒、酒、酒、酒。

 

22歳~ハローワークで就活をして、業務用食品の配送の会社に転職しました。

神奈川県の半分以上を配送エリアに持ち、裏道をマスターしました。

神奈川県の西半分は、地図なしでどこでも走れます。

しかし、私の行く会社はブラックばかりで、、、寝ずに36時間働くなんてことも。

40日連続勤務。それでも、毎日飲みに行くタフさ。若かったです。

 

20~26歳、365日毎日外で飲んでました。

体重86キロ。

「正しい食生活」なんて言葉は知りませんでした。

運動なんて、体育の授業以来なにもしていませんでした。

 

毎日飲んでればそれは自業自得でしょう。。。と思いますか?

だけど、みなさんも、週3~4で外食してませんか?飲んでませんか?

26歳で大腸がんになりました。

我慢してたせいか、ステージ3まで進行していました。

 

2人に1人が、がんになる時代。

他人事ではなく、今から準備しておいた方が、

安心してお酒飲めますよ。(笑)

違います。

誰でもがんになる可能性があるので、気をつけましょうということです。

 

 

 

 

2、大腸がん。 前兆~発見


私は、毎日お酒を飲んでいてました。

おかげさまで何百件の飲食店に行きました。大切な経験です。(笑)

毎日飲んでいたせいで、よくわからなかったのですが、まず下痢になりました。

 

2013年10月

月に一度くらいの下痢。

気にしませんでした。

 

2013年12月

便意を我慢出来なくなりました。

少しちびってしまうことがありました。

最初は気にしませんでした。飲みすぎたかなーぐらい。

何回か漏れるようになりました。でも毎回飲んだ後だったので、気づきませんでした。

 

2014年1月

昼間にお腹の痛みと下痢が始まりました。

そういえば、毎日下痢してました。

全然気づきませんでした。

ブラック生まれのブラック育ちですから、仕事を休んで病院に行くなんて考えませんでした。

痛いのを我慢して、我慢して。

 

2014年2月4日

ついに、激痛へ変化。

立っていられなくなり、夕方やっと病院へいきました。

レントゲンを撮り、後日の大腸カメラの予約でした。

その時は、どうせストレスとか、大腸炎とか、胃腸炎とか、なんて思っていました。

 

会社の同僚に冗談で、がんだったら「ガーン」って言ってくるよ!なんて言いながら、

大腸カメラに臨みました。

自分でカメラの映像が見れるのですが、腸を塞ぐほどの大きな膨らみがありました。

先生からは軽ーい感じで 「これはがんですねー、家族でがんの人いますかー?」

と聞かれ、小さな声で 「い、いないです。。ガーン。。。」 とつぶやきました。

 

こうしてがんが見つかりました。

私の前兆は、下痢、便漏れ、腹痛。

少しづつなので、激痛になるまで気づきませんでした。

 

まさか自分が。

 

皆言います。

まさが自分が、なんて思っていると危ないですね。

 

 

 

 

3、家族・会社・友人への報告


大腸カメラでがんが見つかり、実家で同居していたので、両親へ報告をしにいきました。

私はがんに対しての、知識も、イメージも、なにもなかった「無知」の状態でしたので、

インフルエンザになった、ぐらいの感覚で軽く伝えました。

すると両親は号泣しました。

今思えばなんとなくわかりますが、正直ポカーンとしてしまいました。

私は??なんでだろう??という感じでした。

 

会社にも報告しに行きました。

冗談っぽく同僚に「がんだったよー」と言いました。

みんな急に真顔になり「本当に?」と、とても心配していました。

 

両親も同僚も、【がん=死】のイメージがありました。

 

周りの反応が、「ドン引き」だったのです。

だんだん不安になり始めました。

がんってヤバイ。。。

 

その夜、さすがにお酒は飲んでいませんが、笑

自分でがんについて調べました。

インターネットで、がんとはなんなのか、というところから。

調べれば調べる程、どんどん不安が大きくなります。

大腸がん?ステージ?手術?抗がん剤?放射線治療?5年生存率???

怖いですよね、5年生存率って言葉。

5年後生きてない可能性があるっていう。

26歳。

30歳になれる可能性は、、、

ネットで調べるほどに、自分のステージなどの状況がなにもわからないせいで、

不安しかない。

カメラで大きいがんを見てしまったので、不安、不安、不安。

 

私にも【がん=死】のイメージが沸いてきてしまいました。

 

自分のステージの確定は、この発見の日の2ヶ月後になりました。

手術して、病理検査して。

2ヶ月間自分のステージがわからないという恐怖を抱えることになりました。 

 

両親・会社への報告で、がんに対するイメージの悪さがあり、

自分もその悪いイメージを抱えてしまったので、

友人知人には、報告することをやめてしまいました。

毎日のように飲みに行っていたのに、パタッと行かなくなり、皆が、あいつどうした?と、

なり始めて、理由も言えないので、(LINEをアンインストールして)

自ら「音信不通」にしてしまいました。

良かったのか悪かったのか、一番仲の良かった友人とは、小さなケンカをしていたままで、

それが私がいなくなった理由になっていました。

申し訳なく思っています。

3年間、友人知人とは音信不通のままでした。

(30歳になり、感動の再会を果たしました。)

 

 

「がんになりました」

「私はがん患者です」

「がんサバイバーです」

と、堂々と自分で言える勇気を持つのには、時間がかかりました。

 

今では、世間の【がん=死】の悪いイメージを変えたいと思っています。

 

2人に1人ががんになる時代で、

がんになったことを「キッカケ」として、健康に、前向きに生きていくことにしました。

 

「がんがキッカケで、食生活を見直して、運動をして、以前より健康になっちゃった。」

 

今はいろんな所でこのように言っています。

 

 

「がんになってよかった」 

 

 

 

 

4、入院〜手術〜退院


がんの告知から、

週3日くらい病院へ通い、手術前の検査をしました。
CT、注腸検査、エコー、胃カメラなど、、、。
 
2014年2月4日に告知。
手術の日にちが3月4日と決まったのは、
2月24日。
およそ3週間、身体にあるがんは進行していくのに、
手術日程が、決まらない。
 
医者は「予約でいっぱいです」と。
 
人気のレストランか?!笑
入院は2月28日から。
でも、
2月26日
腹痛が激痛で立っていられないくらい痛くて、
緊急入院。
腸の中のがんに便が詰まり、腸閉塞のような状況に。
下剤で夜中うなされて、痛みの山を超えて全部出たら落ち着きました。
それから2週間食事はとれませんでした。
入院するまでは不安が大きかったですが、
入院すると多少は精神的に楽になりました。
もうすぐ手術だし、なんかあったらすぐ対応出来るしと。
本を読んだり、DSでゲームしたり、YouTubeで落語聴いたりのんびり。
 
3月4日手術の日
がんの近くの腸を、リンパ節と一緒に20センチ程切る手術。
手術室まで自分で歩いて行きました。
全身麻酔をかけられて、フワーッと意識がなくなりました。
目を覚ましたら、身体が重く動かない、意識はもうろう。
集中治療室に入り、夜中に目が覚め、便がだだもれ。
動けないのでトレーで拾われる。
 
翌朝
全身めちゃくちゃ痛いのに、自分で歩いて病室に。
お腹を20センチ程切られて、腸も20センチ程切られて、全身管だらけで歩けるとはすごい。
歩かないと腸が動かないから、歩くように言われる。
でもとても痛い。
尿の管と、お腹のドレーンの管が、腹の中に刺さって痛い。
腹切ったのに腰が痛い。
腰に痛み止めの薬入れる管も入ってた。
自分の身体には管が3本。
術後1週間ずっと痛くてしんどかった。
3月12日
やっと管が外れて楽になった。
歩けるようになった。
それからは早かった。
管が外れて3日、腸も動き出し、階段も登り降り出来るまで回復。
 
3月15日
点滴のスタンドを持って階段を、1階〜6階昇り降りのトレーニングをするくらいに回復。
(誰にも注意されなかった)
3月19日
退院。歩いて駅前に出て。
ラーメンを食べてビールを飲んでしまった。
そして、歩いて会社へ報告に。
元気そうだから、(酔ってる)
明日から仕事出来そうだなと言われ。
3月20日
普通に仕事が始まる。
痛いけど。
下向いて寝れないけど。
 
こんな感じであっというまに
普通の生活に戻りました。
そして、
4月1日
手術で取ったがん細胞を調べた結果、
ステージ確定。
 
「ステージ3b」
 
来週から抗がん剤を始めることに。
その翌日、、、
4月2日
入籍。
 
4月6日
引っ越し。新婚生活スタート。
 
4月8日
抗がん剤初日の為、入院。
抗がん剤スタート。
怒涛の2014年4月。
こんな感じで、抗がん剤治療と新しい生活が始まりました。
 
 
 

5、抗がん剤治療スタート


2014年4月8日
抗がん剤スタート
アバスチンという点滴、ゼローダという飲み薬。
外来で点滴をして、
2週間ゼローダを飲み、
1週間薬お休みをして、また繰り返す。
この、3週間で1セットの抗がん剤治療です。
それを8回(24週間)半年間です。
 
最初の点滴は、副作用がどう出るかわからないからということで、入院です。
ちなみに、抗がん剤の2日前に引越しをして、
新婚生活が始まりました。
と、思ったらすぐに抗がん剤生活も始まりました。
いきなり入院。笑
点滴打ちながら思ったのは、全然平気じゃん。
が感想です。翌日も平気でした。
 
しかし、4日くらい経つと、飲み薬を飲んでいるので、
だんだんと気持ち悪さが出てきました。
胸焼けのような胃のムカムカ。
吐けない吐き気。
 
例えると、
かなり飲み過ぎた時の、
二日酔いの気持ち悪さと、
40度くらいの風邪ひいた時のだるさが
同時にあるような気持ち悪さ。
この感覚が、半年間続きました。
しかも、だんだん強くなっていきます。
 
精神的にもやられます。
やる気がどんどんなくなって、
なにもしたくない。
 
毎日遊んで、毎日仕事して、24時間動きっぱなしで、
休むことなんてしなかった、(だからがんに?)
だらだら過ごす時間なんてなかったのですが、
抗がん剤に精神をやられ、だらーんと、ごろーんと、
気力が無くなっていきました。
このような抗がん剤の副作用をなんとかしたくて、
自分で本やネットで色々調べました。
免疫力を高めた方がいい。
ビタミンを取るといいとか、免疫療法とか、断食とか、
0円~2万円〜300万円などいろんな治療がありました。
 
だけど自分がたどりついたのは、
食事でした。
野菜を中心にした食生活にするという、
単純なものです。
 
野菜や果物の栄養で免疫力を上げようと考えました。
お金をかけずに、しかもオリジナルで。
精進料理とか、マクロビオティックとか、
ベジタリアンとか、ヴィーガンとか
それぞれの特徴と良いとこを取り、勉強して
自分の身体に合うように試しました。
 
基本は、動物食わずに植物食べる。
たまには、寿司やステーキも。(心の栄養)
ビールは植物。笑
 
 
2014年7月
抗がん剤3ヶ月目
手足の指の先にシビレが出てきました。
なにもしていなくてもピリピリしています。ずっと。
さらに洗面所などで、水道水に手をつけると、
夏なのにめちゃくちゃ冷たい。
お湯にしないと触れませんでした。
あと、外の空気も冷たく感じて気持ち悪い。
例えると、ミンティアを口に入れてシーハーする、
冷たい感じ、わかりますか?
夏の外で、空気を吸うとそんな感じがするんです。
あと口と喉がシビれるような、
歯医者での麻酔のような感じ。
 
でもでもでもでも!!!
「抗がん剤で気持ち悪い自分」
その対象にいるのは、
「酒飲んで楽しい自分」
 
抗がん剤の使わない1週間の期間に、
 
お酒飲んでました。
少し楽になりました。
気持ち的に。
2014年10月
抗がん剤6ヶ月目
点滴を入れる腕が痛くて痛くて、
右、左、右、左としていたのですが、
もうどっちも痛い。
最後の抗がん剤点滴を終えて、薬を飲んでいる時、
いつものように吐き気があり、洗面所で、ドラマのように、
「おぇーっ」ってやっていると、、、
!?
真っ赤な血が出てきた。。。
かなり焦った。
「こうやって死ぬんだな」と思った。
 
これが、自分の中での
人生が変わるキッカケになりました。
今までは、がんという病気を認めていなくて、
心からちゃんと、受け入れていなくて、
なんとなく暮らしていたけど、
その時初めて死を感じて、
がんという病気を、
心からちゃんと受け入れた。
 
そこから、本格的に生活を改善し始めました。
 
食生活アドバイザーや、
フードコーディネーターの資格を取得しました。
畑を始めました。
食事を変えるだけで、体重が減っていきました。
3年間で30kgやせました。
 
抗がん剤のことを思い出して、こうやって書いてみると、
4年前ですが、
喉と口の嫌な感覚が戻ってきました。
気持ち悪くなってます、いま。
身体が覚えています。
もう二度とやりたくないです。